堺市堺区ピアノ教室 講師紹介

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幼少の頃 

*堺市立三国ヶ丘幼稚園 

病弱で幼稚園には時々しか通えませんでした。

相愛音楽教室の幼稚科のソルフェージュのクラスに通っていました。

入室面接の時に「先生(母が相愛大学と高校音楽科の講師)の子どもだから」と私だけハーモニー聴音のテストをされました。

私はできましたが、それを見ていらした他の父兄が

「そんな抜き打ちテストをされるのか」と慌てられたそうです。

体が弱く,恥ずかしがり屋で大人しい方でした。

 

小学生 

*堺市立三国ヶ丘小学校 

よく熱を出して学校を休みました。

3年生の時の6年生を送る会で伴奏を担当していましたが、当日高熱が出て家で休んでいましたら、担任の先生が家までいらして

「あの伴奏は山本さんしか弾けないので弾きに来て欲しい」と言われてフラフラしながら真っ赤なオーバーコートを着て弾きました。

5年生からは先生用の音楽の教科書を渡されて、音楽の時間はいつも先生の指揮に合わせて伴奏を受け持っていました。

土曜日は相愛音楽教室に通っていましたが、どうしても手芸がしたくて音楽教室をサボってデパートの手芸売り場で刺繍や編み物を習っていました。

音楽教室からの電話で母にバレてめちゃくちゃ怒られました。

 

厳しい大学教授の先生のピアノレッスンを受けて、母に追い立てられて練習していました。

音楽教室の試験ではいつも大体1番か2番でしたが、まだ自分から積極的に勉強したくて、ピアノを練習しているという感じではありませんでした。

 

 

中学生 

*相愛中学校 初めての電車通学で痴漢との戦いでした。

土曜日は午後から相愛音楽教室のクラスがあり、授業と音楽教室の間の時間は、母のレッスン室でピアノの練習をしないといけなかったのが嫌でした。

中学生になって、自分が少しでも他人よりできるものはピアノしか無いと気づいてから、真剣に練習するようになりました。

 

高校生 

*相愛高校の音楽科に進学しました。

その頃は関西で一番レベルの高い音楽科だったので、才能あるメンバーが集まり、刺激し合いながらも仲良くしていました。

コンクールや発表会などには、ピアノ科の生徒だけでなく他の専攻の友達も応援に来てくれました。

良きライバルであり、良い友人たちと一緒で充実した高校生活でした。お互いに刺激し合って応援し合って、共に上達しました。

先生や母の希望に添えるように頑張りました。

 

大学生  

*相愛大学音楽学部に進学しました。

音楽中心のカリキュラムで音楽漬けの毎日でした。

高3の時の学生コンクールで次点でダメだったのが悔しくて、別のコンクールに挑戦したり、フランスの夏季講習会に参加したり、声楽の友達の伴奏に走り回っていました。

講習会の時に師事したフランス・クリダ先生に留学を勧められて、卒業後、約8年パリに留学しました。

 

パリの留学時代 

*騒音問題で、女子寮にいた時は階下の部屋のスイス航空のCAさんから苦情がきたり、引っ越してからは階下のカフェの親父とケンカしたりしながらレッスンに励みました。

コンクールを受けたりコンサートに出演しましたが、美術館巡りをしたり、キレイな通りを散歩したり、パリはもとより郊外までコンサートを聴きにに行ったり、色んなレストランでお食事したりして、楽しく過ごしました。

 

社会人 独身 

*帰国記念リサイタルの後、倉敷の作陽音楽大学・相愛大学・丹波篠山の関西音楽専門学院に就職しまして、1週間のうち6日レッスンに出かけて毎週2日はホテル泊でした。

 

40代~

30・40代は一番仕事が充実していました。

真面目に頑張る生徒や学生が沢山いてどんどん上達して、堺ピアノコンクールや来音会音楽コンクールに上位入賞したり、学年で首席になったりして、教え甲斐がありました。

自分の演奏会も毎年何度かあって忙しかったです。

平成17年に父が倒れてからは、すでに決まってたコンサートだけは終えました。

 

ピアノ教室のこと

教えるのが好きなので、専門でなくても、私の知識や技術を伝えたいです。

上手に弾けた時の達成感と周りの人がどんなに喜ぶかを生徒さんに味わって欲しいです。

 

思い出の生徒さん

丹波篠山の音楽院で、小学生の時から教えて、それぞれ違う大学のピアノ科に進んだ3人の生徒さん達。

仲良くも刺激し合ってそれぞれの大学で首席になって大学に演奏要員として残ったり、演奏活動をしたりしていました。

今は結婚して外国に住んだり、大阪のオーケストラでオケピアノを弾いたりしています。

 

または趣味で習っていたYちゃん。

とても賢くて注意を必ず1週間で直してきましたので、どんどん進みました。

曲の仕上がりも良く、大阪国際音楽コンクールで上位入賞できました。

高校受験前に残念ながら辞めてしまいましたが、ウワサではすごい進学校へ進んだそうです。

 

自慢の生徒さん

生徒さん達はみんな可愛く、一生懸命頑張る自慢の生徒さん達です。

 

 

 生徒さんからは、「面白くて優しい先生」と言われています。